連載「人と仕事」目次

漆師 矢沢光広さんのこと

«Prev || 1 || Next»

矢沢さんの器を何故お勧めするのか

蓋なし大椀
蓋なし大椀

矢沢さんの作品にも「ハレ」用の立派なものもあるのだが、やはり毎日使う器をお勧めしたい。
矢沢さんの器の素晴らしさは「よそいき」のものは少ない。ご本人の言葉どおり、日常の器である。一分の隙もない緊張感を伴った「ハレ」の器とは趣を異にし、優しい線と、人の使う器としての優しさがある。手の仕事である事を僅かに主張している部分もある。

矢沢さんの仕事

漆の世界で彼は間違いなくベテランの一員だ。長年の仕事を通じてすべての基本を知り抜いている。 新しい表現やデザインのものでも、どこをきちんと押さえて木地は欅やトチ、黄檗など多様な木材を、適材適所というか物によって使い分ける。木地師に依頼するものも、粗挽きのあと矢沢さんが自らひとつ、ひとつ仕上げていく木地もある。 漆も時節がら輸入品も使うが、やはり仕上げは国産の漆にこだわっている。

木地

やさしさは何処からくるのか

矢沢さんはアフリカのクラフトが好きだ。工房を訪ねた私たちにも、秘密のコレクションが詰まった部屋でアフリカの布を、うれしそうに見せてくれた。
矢沢さんの直営ギャラリーの鎌思堂の中央にもアフリカの長椅子が置かれている。プリミティブアートというのだろうか、そこには無造作なやさしさがある。デザイナーの手にかかっているわけではないし、意図して美しいものをつくろうとも思っていない。自然な手の仕事のもたらす優しさだろう。

私は長年、矢沢さんのお椀を愛用している。

お椀というものは、それこそ星の数ほどあるのだが、姿、形や重さ、そして雰囲気など、こだわればこだわるほど選ぶのが難しい。だから自分が好きになれそうなお椀との出合いは殆ど、偶然の出合いともいえる。
なによりも、日々使うというのは値頃感というのがあって、いかに美しいものであっても背伸びをして求めると、なにか「もったいなくって」日々の器というわけにはいかない。

工房

先日、誤ってお椀を落として、縁にほんの僅かのひびが入ってしまった。矢沢さんは、直し方に二つあって、一つは補修した上で全体を塗り直す方法と、傷んだ所を部分的に修理する方法だそうだ。私はなんの躊躇もなく、部分修理をお願いした。矢沢さんの器には、それが似合うと思ったからだ。 修理した場所が少しだけふくらんで、ここを補修したという事がわかる。
再び、日々愛用を続けている。

前へ
次へ
«Prev || 1 || Next»
株式会社古今研究所 代表取締役
稲生一平

アートディレクター、陶芸家
1942年生まれ。大手広告代理店に勤務後に独立。異色のプロデューサーとして活動。
> 続きを読む