連載「人と仕事」目次

井谷伸次さんと和紙

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千年を超える和紙の歴史

紙漉職人 井谷伸次
紙漉職人 井谷伸次

井谷伸次さんは紙漉(かみすき)職人だ。今の時代では紙漉といっても知らない人もいるのかもしれない。

日常私たちが使っている紙は、大別して洋紙と和紙とに分類される。日頃使っている紙、コピー用紙、新聞紙など殆どが洋紙で、粉砕された木材のチップを原料としている。多少極端かもしれないが、日々の生活の中で和紙が登場するシーンは殆ど無いといっても過言ではなかろう。せいぜい上等な祝儀袋ぐらいかもしれない。

和紙というのは、天平時代から日本で作られてきた紙で、楮や三椏などの植物の繊維が原料だ。技法については中国からの渡来とされているが、なんでも工夫する日本人は当時から日本独特の植物繊維を使って、工夫を重ねており、千年後の現在見ても美しい紙を漉いている。

和紙の原料 楮
和紙の原料 楮

和紙というのが、我々日本人にとっていかに身近なものであったかといえば、家、すなわち住宅が象徴的だろう。日本の建築は木と紙でできているとまで言われたものだ。住宅の構造は、ご承知のとおり木材、その木材の空間を仕切る間仕切りが、襖や障子だ。いずれも素材は紙だ。詳しくは別に書く機会もあろうから、この辺にするが、日本人の生活と和紙は、生活空間から手紙、ちり紙に至るまで、切っても切り離せないものであった。

洋紙の歴史は和紙に比べるとだいぶ時差があり、日本で洋紙が本格的に使われるようになったのは明治に入ってからのことだと思う。 一般的に洋紙の保存性は和紙に比べて低く、組成によってのことであろうが数十年とも百年ともいわれている。
日本の和紙は正倉院という世界でも希な保存装置や大寺院のおかげで現代まで伝えられ、その恐るべき保存性そのものが現物を伴って実証されている。又、和紙の技法は世界で最も薄く美しい紙をつくることができるとも言われ、特に美術品の修復では世界的に貢献していることは広く知られている。

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井谷伸次さんは江戸時代から続く紙漉の七代目

工房のある島根、奥出雲の里
工房のある島根、奥出雲の里

紙の話が長くなったが、井谷伸次さんの話にもどそう。

井谷さんは不思議な人だ。四六時中仕事のことを考えている。仕事とは紙のことだ。だから我々のようにアイディアがどうだとか、商品開発とかヒット商品とか、という視点とは少しばかり異なるように思える。
紙漉の技術は修行がいるのは当然としても、極めて単純だ。その原点はおそらく千年前とそう変わっているとは思えない。
時代とともに、人々の細かな工夫が積み重ねられてきていることは間違いないが、おそらく紙漉の歴史の中での最大の変化は漉いた紙の乾燥方法ではなかろうか。

漉き上げた紙を板に貼って天日で乾燥
漉き上げた紙を板に貼って天日で乾燥

漉き上げた紙を板に貼って天日で乾燥させる。これが古来からの方法だ。そうですかと言ってしまえばそれまでだが、この、当たり前ともいえる、濡れた紙を板に貼って天日で乾かすという「こと」が、紙漉の生活の多くを物語ることに気づくだろう。
まず、天候に左右される仕事である。 今でも部分的ながら天日干しを手がける井谷さんと電話で話していると「いや、天気が少しばかり心配で」という言葉が登場する。

天日干し
天日干し

今では殆どの紙漉場には、電気などの熱源をそなえた金属板の乾燥機があり、天候に左右されることはない。ただ、これは紙の素人の私の推測にしかすぎないのだが、天日干しは太陽光の晒し効果があるように思えるのだが、どうだろう。
こうした乾燥機が普及する前は、庭中に何十枚という板を並べて天日に干すのは大変な力仕事であったに違いない。又当然のことながら効率を考えると板の両面に漉いた紙を貼る。だから一面が乾いたら板をひっくり返す手間がいる。 まして、突然の雨がきたらどうする。家族総出で板を取り込んだにちがいない。

順序が逆だが、紙を漉く前の原料の仕込みも大変な手間のかかる仕事だ。現代の都会に暮らす私のようなずぼらな人間にとっては、よくまあ、これほどの手間をと思うのだが、井谷家の人々は、輝く笑顔で話しながら、手先は黙々と動き続けている。

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家族のちから

先代の井谷岩夫さん
先代の井谷岩夫さん

紙漉は家族の力で成り立っている。すべての工程を含めて一人の力ではできない仕事だ。

井谷家でも皆で仕事をする。井谷さんの父親である先代の岩夫さんは、息子の七代目の襲名をもって現場から引退した。七代目に引き継いだ以上、多少未熟なところが見えたとて、無用な口出しはしないと決めた。ねっからの筋金入りの職人である。
紙漉は渡しても、心で息子を支え、無言のうちに叱咤激励しながら、山ほどある雑用を知らぬ顔をして手伝っている。 一方おばあちゃんは現役だ、楮の皮むきの手つきもまことに見事で、井谷さんの奥さんもがんばっているが、今のところおばあちゃんに部がありそうだ。

楮の皮むきをするおばあちゃん
楮の皮むきをするおばあちゃん

井谷さんに「三度のごはんを365日一緒に食べて、喧嘩はしないのか」と聞いてみた事がある。
「もちろん、しますよ」要は喧嘩の震度によって、口をきかない時間が短いか数日にわたるかということらしい。 「仕事は止まるよね」が次の問い、答えは「止まらないのです」仕事は黙って自分の分担を黙々と続けるそうです。

喧嘩をしようと、なにをしようと、家族の絆はしっかりと結ばれ、一層堅固になる事はあっても緩む事は無い。 お互いの役割分担、領域をまもりながら、お互いに尊敬し合える家族、日本の家族というものはきっとこういうものだったのだろうと思う。

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紙漉は禅に通じる

紙は紙である。前にも述べたが技術の習得は並大抵の努力ではなかろうという事は、仕上がった紙を見れば、触れば、誰しも推察できることであろう。
ただ作業は紙を漉く事である。単純作業だ。
ならば、工場の生産ラインと同じではないかという疑問もあろう、実際に何も知らずに端から見ていれば、そのように映るかもしれない。

ただ決定的に異なるのは、工場の生産ラインは人間のミスを最小限にすることを前提に設計されている。ボルト一本締めるのも、きつく締めてという指示があったとしても締め方は担当の人の体力や腕力で異なる。だから生産ラインでは、お相撲さんが締めても、非力なお嬢さんが締めても同じように締めることができるように力(締め付トルクという)がコントロールされている。

紙漉きをする井谷さん
紙漉きをする井谷さん

紙漉には、外から見れば同じ作業に見えても、その技量が問われる、指先から全身の神経が紙漉に向かって集中される。 手でしかできない、人間でなければできない仕事である。なにかの理由で手元が狂えば、流の中の紙とは異なる一枚になるだろう。 井谷さんは全体が紙漉になってしまっているから、そんなややこしい事は考えもせず、目をつむっても紙が漉けるのだろう。でも全身のセンサーが無意識のうちに機能していることにかわりはない。

ただひたすら紙を漉く。私には禅の修行のようにも見える。

板まえ

最近偶然にこんなことがあった。
何十枚かが重ねられた紙を一枚一枚めくっていく。ふと手が止まるところがある。「うん?」と思って、もう一度やってみる、やはり手が止まる。なにかが微妙に違う。それはなんだかわからない、はたして紙の厚さなのだろうか、ごく僅かなテクスチャーの差なのだろうか。繰り返すが、私は紙のプロではない。
たまたま近くにいた、紙のプロに聞いてみた。彼も「たしかに違う」と言っていたので、私の勘違いではなさそうだ。

厚さだとすれば百分の一ミリ単位の違いだろう。和紙の原料は植物繊維だから工業製品のように均一な原料というわけにはいかない。どんなに丁寧な仕事をしてもロットで僅かな差はやむを得ない。

何故か私はこの小さな発見がとても楽しかった。この程度の差はたとえ機械で作られたモノでも誤差のうちかもしれないが、全てが均一、均質化される世の中にあって、手仕事の神髄に触れたような気がする体験であった。

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株式会社古今研究所 代表取締役
稲生一平

アートディレクター、陶芸家
1942年生まれ。大手広告代理店に勤務後に独立。異色のプロデューサーとして活動。
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